自粛要請
「自粛を要請する」
「自粛」は「自粛」である。人に言われる筋合いじゃない。百歩譲って「自粛要請」なるものが成立するとして、要請に応じないからと言って、責められるいわれはない。
どういう根拠を持って他者を責めるのか。何をもって不要不急と定義するのか。そもそも我々がもつ権利の行使をどうとらえるのか。
法で禁止できないというのなら、そういうことだ。公衆衛生上の危機よりも移動の自由の方が優位であると。
補償の議論はあるだろうと思う。すべての損失に対して補償することは不可能だ。
だがそれでも、公的な安全衛生、コロナのみならず医療の持続性、最終的には国民の生命・健康を目的に「自粛要請」ではなく「禁止」を選択せねばならない時がくるときに、この国の悲しいかな我々が選んだ代表者たちはやらねばならないことをやる胆力があるだろうか。
いつまでも「自粛要請」で意思決定を先延ばしにしているところを見ると、残念ながらすでに期待薄だ。
学校のみ休校措置とし、保育園や学童保育を稼働させるというチグハグ。経済活動を維持する前提のまま、何となくできそうなことをやってみた。しかもその根拠・目的をろくに説明できない。そんな指導者だ。
世論の様子をうかがってから話す内容を決めているようでは、ウイルスを先回りして抑え込むことなど期待できようはずがない。
まずは
「家にいて下さい」「家から出ないでください」
「可能な限り対策は打つが、国民の一部への健康影響、経済影響はもう回避できない」
と言えるかどうか。
公の利益のために。
新型コロナウイルス
…のことで言いたいのはわずか。
通常運転を、します。
マスクは花粉症対策。
以上
1/2成人式
子供が学校が休校になった。
その経緯が許せない、というか、認められない。力を持つものがその
正と負の影響力を顧みることもせずに行使する様を露骨に見せられた。
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さて、早2週ほど前になる。
本年度最後の参観日だった。テーマは「1/2成人式」。10歳だから。
できるようになったこと、将来の夢、これまでの感謝を彼らが表現した。
大きくなったものだ。
さほど意識することもなかったが、成人までもう半分来たのだと思うと
確かに一つの節目なのだろうと思う。
一方で、殊更に親への感謝を述べられることに戸惑う。
きっと感謝すべきなのはこちらなのだから。
選んだわけでもない家に、これからのおそらくちょっと厳しくなる世界に
生まれ、僕らに新しい経験と笑顔をもたらしてくれる。
礼はいつか言おうと思う。
今は、あと10年なのか実際問題それよりよっぽど短いのかわからないが、
「我が子」でいる時間を思い切り楽しんでもらいたい。
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学校の先生も青天の霹靂だ。
「今年度残り1か月精いっぱいがんばりましょう」
丸々一か月無くなっちゃいましたとさ。
ラグビーブーム
昨日2/15、ラグビージャパンリーグの観戦に行ってきました。
熊谷ラグビー場での「キヤノンvsホンダ」「パナソニックvs東芝」。
にわかファン。
というのは、新しいファンを差し、最近では特にポジティブにとらえようという風潮で使用されていることは理解している。
とはいえ、いまだにやや引っかかっている。新たに魅力に気が付いた人たちが、自虐的なニュアンスを込めて自称するように感じられるからだと思う。
別に自信を持てばいい。楽しいことに気が付いた、と。
で僕が「にわか」かどうかというと、どうだろうか。
ラグビーにはさっぱり興味がなかった。一昨年まで。
体育なんかでもラグビーはなかったので、ボールも触ったことがない。
高校にはラグビー部があったが、正直どちらかというとマイナーな方だったと思う。
泥臭さやタフネスがラグビーの本領かもしれないが、そういう「暑苦しい」のから距離を取り始めていた世代の雰囲気もあった。
「スクールウォーズ」を現役で見た世代でもないけれど、あのイメージが強すぎて逆に損していたんじゃないかとさえ思う。
一昨年。
近隣の熊谷ラグビー場が改修された。いわずと知れたワールドカップのためだ。
ラグビーワールドカップが来ることは知っていた。2015年の前回大会で盛り上がったことも知っていた。
そのため、世界大会の空気に触れようといわば「祭り」に参加するかの気分でいた。
事前勉強として、新熊谷ラグビー場こけら落としの2018トップリーグ「パナソニックvsキヤノン」を観戦。
続いて、2019ワールドカップ直前のリポビタンDチャレンジカップ「日本vs南アフリカ」。
2019ワールドカップにて「ジョージアvsウルグアイ」「アルゼンチンvsアメリカ」を。
ワールドカップは、スタジアム観戦、パブリックビューイング、TV観戦、堪能しました。大変感動し、いまだかつてないほど興奮した。
2020トップリーグもすでに2節3試合観戦。
正直「にわか」は卒業したといってもいいかな。
「泥臭さ」を遠くから斜に見ているのは、これっぽっちもかっこいいことではなかったと気づいた。
ラグビー楽しい。
人相について
今日は人相の話を。
人相にも手相にも血液型占いにも興味はない。「見かけ」のこと。
僕は「いい人そう」な顔だそうだ。
いい人そう、ということを僕に伝えている段階ですでに裏を予想させるわけだが。
まあ「くろうさぎ」たる所以とでもいうべきなのだろう。それって本人に直接言うものかね、とは思うが。
大学生をしているとき、たびたびその手のことを言われるもので、昔付き合っていた彼女の友達に引き合わせられた際に自分から「いい人そうでしょ」と口火を切ってみたことがある。彼女にわかりやすく睨みつけられた。
更に言うと「色白」だ。
これは中学生の時くらいからの記憶だ。サッカー少年団からバレーボールに転向して屋内にいたのが効いたんだと思う。
偶然近所の本屋で出くわした友達の弟に「〇〇君、化粧してるーーーーっ!」とえらい大きな声で叫ばれた。
卒業式なんかでは雪国だったことも手伝ってか、「雪のように」といってくる人がいたことを覚えている。
別に肌はきれいではないが、色味で何となく騙されてくれる人はいたように思う。それはそれでチョロいもんだ(その人と別に何があったわけでもないんだけど)。
正直容姿にコンプレックスはない。特別どうということもないが、恥じることはないと思えている。幸せなことだ。
性格は画一的な評価が難しいだろう。勘違いするなら勝手にすればってなもんである。
「やけに色白」で「いい人そう」で、そうでもない人間。そんな感じ。
なんか付き合いにくそうな感じになっちゃった。
あー。嫌われるのはきらい。
以上!
献血しました。
こんにちは。くろうさぎです。
献血しました。
妻が「献血意識」が高いのに影響されていたのか、会社に献血バスが来ていた機会をとらえてやってみました。
看護師さんらしき受付の方に、相当久しぶりである旨話しました。10年くらいぶりかなと。
情報照会すると、凄いもので記録が残っていたようです。
「あー前回は1998年だったみたいですね」
なんと大学生(しかもなりたてっぽい)のころでした。
10年を超えた過去のことは、記憶の仕分けがさっぱりできてないと多少ショックを受けるとともに、40年弱の人生で22年前の記録を突き付けられるというのは、素直に驚きです。タイムカプセルか。
次はもう少し頻繁にいこう。
注射、苦手だけど。
節分
こんにちは。くろうさぎです。
本日は節分です。
保育園に行っている長男は、年が明けてからというもの「今日は何月?」と毎日聞き続けていました。毎日「今日は一月だよ」と答えていました。
彼は保育園に二月に来る鬼が怖かったので、「二月になったら保育園行かない」というつもりだったようです。
二月の最初の月曜日が節分だなんて、彼にとっては不幸でした。
ずっと物陰に隠れてたそうです。「豆投げ終わって、武器がなくなったから」
さて、節分とはそもそも何なのでしょうか?北海道出身で伝統的行事に疎い私は、よくわかっていません。北海道(の全部かよく知りませんが)では、節分に落花生を投げたりしているのは認知されていますかね。。。
なんとなく小学校の長女に聞いてみました。節分て何なの、と。
教えてもらったことがあるそうです。
…昔々、ある村にお百姓と美しい娘がいたそうです。
あまり美しいので、嫁にもらいたいと沢山の男たちがやってきました。面倒なので、おっきな石臼を用意して、「これを持ち上げられたら娘をやる」として男たちを追っ払っていたら、とある一人だけ持ち上げてしまったそうな。
娘を連れ帰られてしまった百姓は、そのあとを追いかけていったところ、なんとそこは鬼の屋敷だった。男は鬼だったのだ。
その後隙だらけの鬼の宴会から娘を連れ帰った百姓だったが、すぐに気づかれて鬼に家の前に迫られてしまう。
そこで百姓が投じた必殺の計を案じた。それは、家の戸に「ひいらぎ」と「いわし」をかけて鬼を防ぐことだった。
それが二月三日の出来事だった。
…。
豆は??
また来週。